庭園について
堺は古くから大陸との架け橋として重要な役割を果たしてきました。遣明船(けんみんせん)の基地として大陸の先進技術や文化を日本に紹介し、日本文化に大きな影響を与えました。同時に、自由都市として繁栄を遂げ、独自の文化を育んできた街です。大仙公園日本庭園はこのような堺の歴史と文化を凝縮した空間です。「築山林泉回遊式(つきやまりんせんかいゆうしき)」という伝統的な庭園様式を用い、桃源台から流れ出る水流が諸処に景勝を織り交ぜながら大海へと注ぐ様を広大な敷地に表現しています。
庭園の設計者は、足立美術館庭園設計などで知られる中根金作氏です。中根はこの庭園を山水をモチーフに泉北丘陵を取り込む山々として「築山」、その山より流れ出る水を「滝水」「渓流」「流れ」、そして大阪湾をあらわす「池泉」により表現しています。庭園の総面積は26,000㎡で、そのうち3分の1程度を占める水景を中心にぐるりと園内を一周できます。
休憩舎(きゅうけいしゃ)
中世末期に堺の豪商たちによって組織された「納屋衆(なやしゅう のちに会合衆とも)」が会合などに利用した集会所を想定して建てられた建物です。納屋衆は堺の政治経済を担う重要な役割を果たしていました。
池泉(ちせん)
この池泉は大海を意味し、東岸に位置する建物と付属の施設は堺市、対岸である西岸は中国大陸を意味し、姉妹都市である連雲港市との関係を含め、堺市が国際的な交流により益々の繁栄を表しています。
映波橋(えいはきょう)
大海に見立てた池泉の河口にある中島に架かる平橋が映波橋です。東岸の堺市と西岸の中国との架け橋をイメージしています。
印月橋(いんげつきょう)
映波橋と同じく池泉の中島に架かる反橋が印月橋です。橋からは四季折々の風情を流し流されるさざ波の様子や水面に浮かぶ美しい景色を楽しむことができます。
春燕橋(しゅんえんきょう)
上流に石津渓(いしづけい)、下流に池泉を望むこの橋は、新緑の頃には、橋のたもとの柳をかすめて飛ぶ燕が眺められる絶景のスポットとして知られています。
石津渓(いしづけい)
古代より現在に至るまで、堺の人々の生活と文化を育んできた石津川をモチーフとしています。奥の桃源台を源流とし、穏やかに蛇行する流れや勢いよく流れ落ちる小滝など、多様な表情を見せて池(海)へと注ぎます。
桃源台(とうげんだい)
泉北丘陵を模した桃源台は、平和の象徴である桃源郷(とうげんきょう)をイメージして造られています。春には桃、梅、牡丹などの花が咲き誇り、訪れる人々を楽しませてくれます。
流杯亭(りゅうはいてい)
堺の友好都市•中国連雲港市から贈られた石に流れを彫み、曲水を再現しました。この曲水の流れの模様は、花果山の石の中から生まれた孫悟空の顔に似ているといわれています。
杜若池(とじゃくち)
初夏には花菖蒲(はなしょうぶ)や杜若(かきつばた)が風情を競い合い、流れを渡る沢飛、八ツ橋が架けられ涼しげな風情を醸し出します。
青苔亭(せいたいてい)
八ツ橋を渡った先にある青苔亭はやや閉鎖された雰囲気で花を静かに愛でるために設けられた休憩所です。花を愛でることはもちろん、沢の音、葉擦れの音、早春には梅の香りをゆっくりと楽しんでいただけます。
傘亭(かさてい)
庭園を一望できる絶好のスポットです。特に、近景に池泉や休憩舎、印月橋、映波橋を俯瞰(ふかん)し、遠景に仁徳天皇陵、履中天皇陵を仰かんできる景観は圧巻です。
廬山(ろざん)
中国江西省にある名勝『廬山』を模して造られた築山で、大仙公園日本庭園を代表する景観の一つです。庭園の東側に位置しています。
虎渓(こけい)
飛龍瀑(ひりゅうばく)庭園内の渓谷と大滝は、廬山にある渓谷「虎渓」「飛龍瀑」で、それにまつわる「虎渓三笑」という中国の故事をモチーフとしています。
甘泉殿(かんせんでん)
この休憩舎の名は、そばに清く甘い泉が湧くことに由来します。
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